前回、オトナプリキュアの感想記事をあげたのですが、「全体的に誤解を招きやすい内容である」と判断したため記事を非公開にいたしました。
そもそもここはぷよぷよと魔導物語のためのブログなので、プリキュアについて延々と語るべきではありませんでした。
ぷよクエとのコラボ関係の話題以外でプリキュアについて語るのは、この記事で最後にします。
(筆者は見ていませんが)現行シーズンである「ひろがるスカイプリキュア」では、赤ん坊をプリキュアに変身させて積極的に戦わせている一方、「オトナプリキュア」ではかつてプリキュアだった大人達を(子供の姿に戻って再度プリキュアに変身しない限り)決して戦わせようとしないという謎脚本になっています。
普通に考えれば赤ん坊こそ戦場や戦闘から最も遠ざけるべきで、恐らくは世界を救った事もある戦闘経験豊富な大人たちこそ積極的に戦う姿を描くの筋だと思うのですが、プリキュアの脚本では逆になっているのですね。そして、そういうおかしな不思議な脚本のヒーローアニメが国民的人気作として20年も支持されています。
「なんでやねん!」
…とツッコミを入れたいところではありますが、「変身できれば赤ん坊でも戦わせてOK!」なほどプリキュアは無敵という事なのでしょう。
(90年代に制作されたアニメ版セーラームーンや、ポケモン映画「結晶塔の帝王エンテイ」では、「非力な子供を大人の姿に変身or成長させて敵と戦わせる」というのは悪役の所業だったのですが、これも時代の流れによる変化…ではなく、ただ単にプリキュアスタッフが「プリキュアは無条件に良いもの」として観客に押し売りしたいだけでしょう)
一方で、変身能力と全能感を失ったかつてのヒーローである大人達を一般人と同等の無力な存在として描くことに何らかの社会風刺的な意味があるのでしょうか?
ただ単に、子供の姿に戻ってプリキュアに再度変身できたことを奇跡としてゴリ押ししたいだけなのではないでしょうか?
恐らく後者だとは思いますが、それならそれで、現在の社会情勢をはかる物差しの一つにはなりえるのかもしれません。
「プリキュアだった頃の輝きを取り戻したい」と心のどこかで切望している節がある夢原のぞみと同様、筆者もまた、「ぷよ・魔導シリーズ」という「子供の頃に憧れた理想郷」を追い求め続けている「大人になりきれない大人」なのですから…(^_^;)
初期のころは違ったのかもしれませんが、現在のプリキュアは「ヒーローを描くためのプリキュア」ではなく、「プリキュアは凄い!」と主張する事が目的化した脚本になってはいないでしょうか?
多くのプリキュアファン達の望みとは違うかもしれませんが、「変身ヒーロー達のその後」を描くのなら、「変身できなくても頑張って戦う彼女達の姿」を、筆者は見てみたかったです。
なお、ぷよクエのプリキュアコラボストーリーは悪くない内容だったと思います。
悪役がいないのでヒーローとしてはいまひとつ引き立っていないものの、読んでいて憤りを感じることもなく、無難に明るく楽しいストーリーになっていると思います。