午前中はとくに何事もなく過ぎた。
昨日のようにジュエルモンスターに襲撃されるわけでもなく、久しぶりに穏やかで何事もない一日になるかと思われた。
――そう、この「お昼の時間」が来るまでは――。
「ええ~ッ?! 購買のパン、全部売り切れなんですかっ?!」
「・・・う~ん、売り切れっていうか、なんて言うかねぇ・・・」
私の悲鳴に購買部のおばさんは、やや戸惑った様子で応えた。
お昼休みは戦の時間だ。
メロンパンを手に入れるべく、誰よりも早く購買にたどり着いた私は、しかし、「肝心の商品がない」という事態に見舞われる羽目になってしまった。
「・・・正確に言えばね、『売り切れた』んじゃなくて『奪われた』んだよ」
「奪われた?」
「そう。売り出すはずだったパン全部をね。幸い、おつり用のお金は無事だったんだけど」
「・・・つまり犯人の目当ては、あくまで『食べ物』であって『お金』ではなかったという事か・・・」
私の独り言におばさんが頷いた。
「・・・まぁ、そういう事になるんだろうけど、パンは何十人分も用意してあるんだよ? とてもじゃないけど、一人じゃ食べきればいよ」
「・・・つまり犯人は、一人じゃなくて複数・・・?」
「ああ、全く・・・何年もここでパンを売り続けてきたけど、こんな事は初めてだよ。・・・あたしゃまったく、怒ればいいのか、悲しめばいいのか・・・」
「・・・早く犯人、捕まると良いですね」
「ああ・・・本当だよ」
購買部のおばさんは、悲しむか呆れるかの声で呟いた。
・・・あ~あ、購買にパンがないんじゃ仕方ない。
この時間帯、制服姿でコンビニに行くわけにもいかないし・・・。
クラスメイトから、お弁当を少しずつわけて貰うしかないよね。
何はともあれ、教室に戻ろう!
「ねぇ、まぐろ君、悪いんだけどお弁当少しわけてもらえな――」
「あああああ、りんごちゃーん!! ボクのお弁当、誰かに食べられちゃったぁあぁぁぁっ!」
「ええーッ!!」
しかし教室へ戻って来た私を待ち受けていたのは、またも食料喪失事件だった。
「ど、どいうこと? 誰かに食べられちゃったって?」
「分かんないけど、お弁当を開けてみたら全部中身がなくなってたんだ! ボクだけじゃない。このクラスみんな、何者かにお昼ごはん全部食べられちゃったんだー!」
「なんですって?!」
・・・まさか、購買を襲った犯人がこんなところにも・・・。
でも一体誰が、何の為にっ?!
「ぐーっ!」
「えっ?!」
い、今なにか、鳴き声と共に黄色い物が目の前を通り過ぎたような――。
・・・気のせいだよね?
「ぐっー!」
「うわぁっ!」
やっぱり気のせいじゃない!
今度は何か赤い物が目の前を通り過ぎて行った。
どこまでも伸びるそれは、アミティ向かってまっしぐら!
「ああっ! あたしのお弁当!!」
・・・どうやらこのクラス最後の犠牲者はアミティのようだ。
――っていうか、犯人(?)はこの赤い物体?
「ぐぐーっ!」
赤くて長い「何か」が、勝ち誇ったように教室の中央でユラユラと揺れていた。
「何アレ?」
「気持ち悪ーいっ!!」
クラスメイトみんな、その異様な光景に恐怖の声を上げ、教室の端に寄る。
「・・・あれはきっと、給食の怪獣だ!」
「給食の怪獣?!」
「そう。この学校の七不思議の一つ。ご飯を粗末にする者の前に現れ、人々を恐怖の渦に陥れるという――」
「ええっー?!」
何故かオカルトトークを始めるまぐろ君に、私は突っ込みを入れる余裕もなかった。
そもそもこの学校、給食制じゃないし…。
・・・しかしその中で、勇敢にもその物体に向かっていく者がいた。
――他でもない、最後にお弁当を奪われた少女、アミティだった。
「あ、危ない!!」
「やめときなよ、アミティまでそいつに食べられちゃうよっ?!」
まぐろ君と私は止めたが、アミティは聞かなかった。
「ひどいじゃないっ! あたしのお弁当返してよ、カーバンクルっ!!」
――カーバンクルっ?!
「ああっ! カー君、みんなのご飯食べちゃダメって、あれ程言ったのに!!」
・・・カー君?!
アルルが駆けつけると、赤くて長い「何か」が急速に縮んで行く。
その先にいたのは、例えていうなら黄色いうさぎ。長い耳に丸っこい身体をした、小さく可愛らしい生き物だった。
「ぐーっ!」
「カー君…! ボクがちょっと目を離した隙に、なんてことを…!」
「ぐっぐー!」
その黄色い生き物…カーくんとやらは、まるでペロリと笑うかのように真っ赤な舌をその口から出した。
…どうやらさっきの赤い物体は、この生き物の舌だったようだ。
この手のひらサイズの生き物のどこに、あれだけ長い舌を仕舞う場所があるのか、甚だ疑問ではあるが。
それに、あれだけの食料を全部一人で食べてしまったなんて…。
見かけによらずその身体は、ブラックホールのような構造をしているのかもしれない…。
しかしこの際、そんな事はどうでも良い。
特筆すべきは、その額で輝く赤い宝石――。
「・・・待って、アルル! その子、本当にカーバンクルなの?」
私の問いにアルルが振り向いた。
「そ、そうだけど・・・なんで?」
「りんごちゃんの方こそ、カーバンクルの事、知ってるの?」
とアミティ。
「・・・知っているも何も、カーバンクルは南アメリカに生息すると言われていた幻の生き物だよ。その額に輝く赤い宝石を手にした者は、富と幸福を得られると言われていたんだけど・・・結局誰も、カーバンクルを見つける事ができなかったの」
「・・・へ、へぇえ・・・そうなんだっ!?」
何故か疑問系なアルル。
「でもまさか、その幻の生物が実在していただなんて!」
私の興奮は治まらない!
「そのカーバンクルはやっぱり、南アメリカで捕まえたのッ?!」
「・・・捕まえたっていうか・・・元々魔王のペットだったんだけど・・・」
「えっ!?」
「あー! じゃなくてぇ・・・も、勿論その・・・えーっと・・・なんだっけ、みな・・・?」
「南アメリカ?」
「そう! そのみ…み…ア…リカ?? で出会って友達になったんだ!」
「・・・じゃあ、幻の生物カーバンクルを手に入れたアルルは、その力で大金持ちにっ?!」
『えっ?!』
まぐろ君の一言で、教室中の視線が一斉にアルルへと向いた。勿論、その中の一人は私だ。
「え、いや、あの、その・・・」
みんなの視線に耐えかねたのか、たじろぐアルル。
「アルル、そんなにお金持ちなら、なんで今まで教えてくれなかったの?」
「…アミティまで!」
苦笑を浮かべるアルル。
「・・・みんな、残念だけどボクはお金持ちではないよ。それなりに幸せな事は事実だけどね」
「・・・なーんだ!」
誰が発したわけでもないその一言に、教室中の張り詰めた空気が解けた。
「でも、そんな事を言っても本当はお金持ちだったりして?」
などと揶揄する者も現れたが、まぁ、とくに悪意はないようである。
・・・しかしこの緊張感がなくなった事により、別の空気が教室に流れはじめた。
「おい、ふざけんなよ! 幻の生き物だかなんだか知らねーけど、俺の弁当返せよ!!」
「つーか何学校にペット連れて来てんだよッ?!」
「ううっ・・・ごめんなさい・・・」
縮こまって謝るアルル。
・・・食料を奪われた男子が、キレ初めてしまったのだ!
その数ざっと20人。
私は慌ててアルルと男子生徒達の間に割って入った。
「待ってよ、みんな! 確かに食べ物は盗られちゃったけど、でも、『富と幸福をもたらす』と言われていた幻の生き物に会えたんだよ?! 神社へのお供えみたいな物だと思って・・・今日のところは見逃してあげてよ!」
「はぁーッ! ふざけんなッ!!」
「何が『富と幸福をもたらす珍獣』だっ?! 実際には全く逆だろ、この疫病神めっ!!」
「そ、そんな事言われても・・・」
・・・駄目だ。
女子はむしろ「まぁ、ダイエット中だから別に良いか」と呟く子さえいる程だけど、やっぱり男の子は、満腹にならないと腹の虫の居所が悪いままらしい・・・。
「・・・どうするの、アルル」
「・・・アミティ! ・・・こうなったら非常事態だ・・・」
・・・私の後ろで、アルルとアミティが何やらブツブツ呟いていたけれど、それ以上何を言っていたのかよく聞こえなかった。
「おい、聞いてんのか、アルル!! オレの弁当弁償しろよ!!」
「…まぁそう怒らないで」
怒れる男子生徒を止めに入ったのは、まぐろ君だった(彼も男子だけど…)
「なんかよく分かんないけど、カーバンクルにお弁当をあげた子達の机の上に、できたてホヤホヤのカレーライスが乗っているよ?」
「何っ?!」
驚愕の声をあげる男子。
まぐろ君の言った通りだった。
教室中の机という机にカレーライスが乗り、食欲を誘うスパイシーな香りが充満していた。
「『富と幸福をもたらす』幻獣、カーバンクルのご利益かもね?」
まぐろ君の言葉に、しかし私も驚かずにはいられなかった。
この奇跡は本当に、幻獣カーバンクルの力によるものなのだろうか?
それならそれで感動だけど……
……でもなんで、カレーライスなんだろう?
よく見たら、棒付きキャンディーまで机の上に乗ってるし…。
「…とりあえず騒動が収まって良かったね、アルル?」
「そうだね、アミティ。アコール先生がすばやく対応してくれたおかげで、助かったよ」
「アコール先生、向こうからあたし達の事、ずっと見守ってくれてたんだね!」
「あはは…この事件が解決してプリンプタウンに帰ったら、う~んとお礼言わなきゃ…」
「それに、棒付きキャンディーまで届いてる!」
「…あれは、間違いなくレムレスだね…。この世界に食べ物を送ると聞いて、便乗して来たんだ…」
「…さっきから二人でぶつぶつと、何を話しているの?」
「あー、いやいやなんでもない、なんでもないよ!」
「ただ、みんなの機嫌が直って良かったね、って話をしてただけ!」
「…ふ~ん?」
私が話しかけると、アルルもアミティも取り繕うように笑った。
何か気になるところではあるけど…
…ま、いいか。
「この現象は、本当にカーバンクルの力なの?」
「うーん、どうだろう?」
私の質問に、しかしアルルは曖昧に笑うだけだった。
「幻獣カーバンクルを連れたあなたの周りでは、いつもこういう『不思議現象』が起こってるんじゃないのっ?」
「残念だけど、そういうワケでもないよ。ただ、カーくんの力はボクにとってもまだまだ未知の領域、ってのは確かだね」
「ふ~ん、そうだんだ?」
私は黄色いウサギの姿をしたその生き物に、そっと手を差し伸べた。
「…よろしくね、カーくん?」
「ぐぅ!」
彼(?)もその小さな手で握り返してくれた。
…彼は幻獣だけど、幻じゃない。
その手は確かに温かかった。
「さぁーてと、じゃあ私も、そのご利益を有り難く頂戴しようかな!」
陽気に自分の席を見て、気がついた。
…ないっ!
私の机の上には、カレーライスが乗ってない!
一体どうして…?
「…あれ、どうしたの、りんごちゃん?」
一人で呆然としている私に、まぐろ君が声を掛けてくれた。
「ないの! 私の席にだけ、カローライスがないっ!」
今回ばかりはカーバンクルが食べちゃったわけではないようだけど…。
「あれ? りんごちゃんもお弁当奪われちゃったの?」
「いや…私の場合は『お弁当を奪われた』んじゃなくて、『買おうと思っていた購買のパンを全て食べられちゃった』んだけど…」
「な~るほどねぇ。原因はそれだよ」
まぐろ君はいつもと変わらぬ陽気な声で言った。
「たぶん、このご利益にあやかれるのは、『自分の持っていた食べ物を直接カーバンクルにあげた人』だけってことだよ」
「ええーっ!」
そんなのってアリ!?
「間接的に食べ物を盗られちゃったりんごちゃんへの穴埋めは、ナシ」
「……」
私はがっくりと肩を落とした。
な、なんて使えない「ご利益」なんだ…。
ああ…がっかりしたら余計お腹空いて来ちゃった…。
教室の片隅では、またアルルとアミティが二人だけで密談していた。
一体何を話しているんだろう?
…まぁ、別に良いか。
そんな事より、お腹空いたな…。
「りんごちゃんががっかりしてるよ、アルル」
「アコール先生、お願いします! りんごにもカレーを送ってあげて下さい!!」
「……」
「……」
「…あれ、反応がないね?」
「…もしかして、材料切れかも!?」
「えーっ!」
「レムレス、何かお腹にたまるお菓子とか持ってないのっ?」
「…アルル、あたしの頭にキャンディーが降って来たよ?」
「…『今はこれしか持ち合わせがない』か…」
「そんなにがっかりしないで、りんごちゃん!」
「…アミティ?」
「あたしのカレー、半分食べて良いからさ!」
「え、でも…」
「遠慮しないで、ボクのも食べて良いよ」
「…アルル…!」
「もとはと言えば、カーくんをちゃんと見ていなかったボクの責任だし…」
「そんな、別にアルルを責めているわけじゃ――」
「ありがとう。でも、やっぱりボクは、キミにお詫びをしたいんだ」
「はい、これ! りんごちゃんの分のスプーン!」
「…あ、ありがとう。アルル、アミティ。じゃあ二人のカレー、半分ずつ貰うね!!」
『どうぞ!!』
二人は一点の陰りもなく笑った。
顔だちこそ違えど、まるで双子のように同質の笑みだった。
「いっただきま――」
私がご機嫌にカレーを口に運んだ――その時だった。
「ぐっぐぐー♪」
「あ゛あ゛!!」
「ああ、カーくん!!」
あの黄色いウサギが、二人のカレーライスを「皿ごと」飲み込んでしまったのだった…。
「…ん? どうした、あんどう? 体調でも悪いのか?」
…五次元目の授業開始時。
机の上でぐったりとつっぷしている私を見て、数学の先生が優しく声を掛けてくれた。
「…いえ、大丈夫です。…ただちょっとお腹が空いただけですから…あはははは…」
「ん? そうか?」
かくして授業はいつも通り開かれた。
…ふう。
私は今日、とても貴重な体験をする事ができた。
南アメリカに住むという幻の生物カーバンクルは実在した。
…しかしその存在が本当に「富と幸福」をもたらすのかは、謎のまた謎である。
「トホホ…」
追伸:噂によると、売り物のパンを全て食べられてしまったあの購買のおばさんのもとには、直径1メートルはあろう巨大な皿に盛られた特大カレーと、棒付きキャンディー1年分が届いたらしい。
この奇跡が本当に幻獣カーバンクルの力によるものなのか、
そもそもそれって単なる「ありがた迷惑」じゃないかなど、詳しい事は現在も調査中である。
……マル。